2007 渡辺好明「光ではかられた時 -夏至の灯火-」

会場:SPICA art
2007.6.9 (Sat) – 6.24 (San) 18:00 – 21:00
2007年のトウキョウミルキーウェイ。青山会場のSPICA artでは、渡辺好明の「光ではかられた時 -黄道-」が展示され、ギャラリーを訪れた観客の献灯によってキャンドルの空間が作り上げられました。
オープニング:2007年6月9日(土) 18:00-
*渡辺好明による点灯の後、作品の趣旨についてトーク
*観客による献灯
fukasetalk.jpg
深瀬鋭一郎氏(以下、F):それでは始めたいと思います。最初に私からこのフェスティバルの開催趣旨や背景について若干説明して、引き続いて渡辺先生にこの作品の趣旨についてご説明いただきます。


私は深瀬鋭一郎といいまして、深瀬記念視覚芸術保存基金という芸術支援団体の代表を務めています。キュレーション、美術作品の収蔵・貸出活動など、さまざまな活動を行っています。キュレーション関係ですと、こういったフェスティバル、展覧会、イベント、公募展の企画・運営を行っています。本件フェスティバルはその78件目ということです。
このフェスティバルの趣旨についてお話しますと、「100万人のキャンドルナイト」というロハス(LOHAS)運動が大元にあります。「大地を守る会」という無農薬野菜を広げていこうとする団体がありまして、そこが2002年に「キャンドルナイトを始めましょう」という声がけをしました。最初の言いだしっぺは二人の文化人類学者、辻信一さんと竹村真一さん、竹村健一さんの息子さんです。それは人間があまりにファストライフになりすぎ、ここまで大量消費する文明っていうのはサステイナブルじゃない、どんどん地球を食いつぶしているので、地球上で人間がサステイナブルに生存し続けていくためには、少しスローに生活したほうがよいのではないかということで、『ecocolo』編集長のマエキタミヤコさんが「電気を消してキャンドルを」という標語を作って、始めたということです。
2003年から環境省が加わりましたが、環境省はそういう文化人類学的な、ロハス的な観点というよりは「電気を消してスローな夜を」という、節電にいいぞっていう観点もあって参加したということです。それが連携して2003年から今年まで毎年夏至と冬至の日をはさんで、三日から五日間くらいだいたい土日を含むような日程でそのキャンドルナイトのフェスティバルの期間を設けてやっていこうということになりました。それで「100万人」っていうのは最初からの標語ですが、昨年の実績は、主催者の公式発表によれば、2万9千施設、665万人の参加です。本当にそんなにあるのか少し不思議に思うんですけども。
audience.jpgそこでなぜこの「トウキョウ・ミルキーウェイ」に至ったかというと、昨年の『地球と人間』という雑誌の7月号の企画対談で私が辻信一さんと対談する企画があって、そこでキャンドルナイトを一緒にやりましょうっていう話が出てきたのです。今年も坂本隆一さんとかとか小林武史さんとかいろんな人が声がけ人として入っているわけですけども、私たちも入ってこういう芸術のフェスティバルを作っています。昨年はもうちょっと小さめに銀座だけでやったんですけど、今年は青山、赤坂、銀座、3地域で18件のギャラリーと赤坂の商店街の連動でやっています。来年はもうちょっと企画展との連携という形でエコロジカルな展示をみんなで見せる形を想定しています。
キャンドルを扱っている代表的なアーティストというと、まず渡辺好明さんが思いうかぶものですからお声がけしてご快諾いただき、今回このような展覧会が実現した、ということであります。それでご承知の通り渡辺先生、芸大の教授でありますけども、ずっとキャンドルを使った、しかも時間の経過というのをテーマとしたインスタレーション作品を作っておられます。それで、今回も《光ではかられた時 -夏至の灯火-》という新作を展示していただきました。つきましては、渡辺先生がこの作品の趣旨とか考えていること、ロハスとか環境問題にどういうふうに関連するかなど、そういうものももしあればお話いただきたいと思います。
渡辺好明氏(以下、W):はい、ありがとうございました。渡辺好明です。私が「100万人のキャンドルナイト」という企画を知ったのはおそらく新聞記事だったと思います。確か3年前くらいに記事を目にして、私自身がもちろんそういうキャンドルを使っているということもあり関心を持ちました。
watanabetalk.jpgキャンドルというのは、いろんなセレモニーとか儀式にも使われ、ついこのあいだも北朝鮮の大パレードで、たいまつを掲げたりキャンドルを掲げたりして使われていました。9.11に関係するものなど、ここ何年間かわりとキャンドルを大量に用いたイベントがたくさん行われていて、キャンドルを作品の上でずっと使っている私としては、いろいろ複雑な感情を持ちながらそういった現況を見ていました。その中でこの「100万人のキャンドルナイト」については、開催趣旨からして、地球規模で環境のことを考えたり、改めて暮らしに思いをめぐらすという意味で、コンセプトとして非常に賛同できるもので、面白い企画だと思ったんですね。あんまり押し付けがましくない、幅を持ったイベントとして注目をしておりました。それで私は今回こういう作品で参加させていただくことになったのですけども。
こちらのギャラリーでは、私は既に二度ほど発表させていただいておりまして、床の面には私がこちらで最初にさせていただいたピタゴラスの定理を基にしたインスタレーションの跡が残っていますし、天井を見ると、この穴の跡はおそらく「ボロメオの輪」という私の展示作品の名残と思われます。今回の作品は一連の「光ではかられた時」という作品シリーズに属するものなのですけども、天文学や占星術でバビロニアの時代から続いているそういう天球の運行について、太陽の通り道のことを「黄道」、黄色い道、というわけですけども、そのタイトルをつけさせていただきました。これは1994年に日本橋にあるギャラリートモスで初めて発表したものなんです。この展示も実はキャンドルつながりでやらせていただいたところで、キャンドル屋さんが経営されているギャラリーで、トモスという名前も火を灯すということからきています。その会場は地下と地上階と二つに分けられていて、明と暗といいますか、ちょうど正円を描く黄道の作品を展示したのですけども、そちらで発表したものとほぼ同様、こちらの会場も2階部分といいますか、吹き抜けになった壁がつながっておりまして、イメージとしてはこれで正円が描かれるというわけなんですね。
watanabe+fukase.JPGキャンドルナイト自体は、先ほども話にありましたように夏至の日と冬至の日に行われるイベントですが、これは古今東西いろんな形で行われている、太陽信仰に結びついた夏至のお祭り、一番日が短くなる冬至にまつわるお祭りにちなんだ日付の設定なのだろうと思います。キャンドルナイト自体は6月22日ということで、正確に夏至の日に当たるわけですけども、奇しくも私の誕生日が6月24日なので、展覧会の最終日を6月24日に設定させていただきました。6月20日前後というのが夏至のお祭りがそれぞれの民族でもって祝われている頃でして、6月24日というのはヨーロッパ、特に北欧のほうで盛んなのですけども、「洗礼者ヨハネの日」ということになっています。それを知ったのがちょうどそのギャラリートモスでこの「黄道」という作品を発表した時だったのですね。私の誕生日がその聖ヨハネの日であって、それは特に冬は光の差さない北欧系の人たちにとって夏の短い夏を祝う夏至のお祭りとして知られているわけです。これがなぜこう6月24日に設定されているのか、聖ヨハネの日になったかというと、もう一つの大きなお祭りであるクリスマスですね。12月24日はクリスマスイブですけども、キリストの誕生日という日に半年先だってキリストを予告し、洗礼をほどこした聖ヨハネという風に定められたのではないかと思っています。私の名前も好明というのですが、明かりを好むと書いて「よしあき」と読むので、なんだかキャンドルの作品といろいろな一致を見ているな、と面白く思いました。
火にまつわること、あるいは太陽にまつわること、太陽から火を盗むとか、人間が天上から火を借り受けるという神話も世界中いろいろな形で残されています。古事記では、いざなみが火の神かぐつちを産んで火傷して死んでしまいます。ギリシャ神話では、プロメテウスがやはりゼウスから火を盗んでそれがために岩山につながれるとか、火にまつわる神話というのも多くの文化でいろいろな形があります。そこで見られるものは、火の持っている両義性です。人間にとって火というのは文明を発展させて人間らしい暮らしを営んでいく上で無くてはならないものですけども、それに伴って人間が否応なく負ってしまった両義的な負の側面も同時に暗示されているのかな、と思うわけです。
drawing.JPG今回はこのキャンドルナイトという趣旨に即した形で、壁面に大きな黄道の作品と、反対側にドローイング作品を一点、展示しています。このドローイングをごらんいただければ今回の展示のコンセプトがお分かりいただけるかと思います。そこに描かれているのはちょうど6月24日の今ぐらいの時刻に日本で見られる星座です。すなわち、こちらに黄道が描かれていまして、この床面にそれぞれ皆さんに火を灯していただくわけなのですけれど、それによって天球に見られる星座が一人ひとりによって形づくられるわけです。皆さんにそれぞれの思いをもって火をともしていただきたいと思いますが、それがひとつながりになれば星座を形作る、そういった趣旨です。星座は人間が勝手に天空にたくさん見られる星をつないで、ある形をそこに想像しているものですが、実はこの星々というのは何億光年も離れた、それぞれ一つずつは別の距離にあるもので、そんな遠くから届いている光を我々は目にしているわけです。実際には距離もばらばらな星々を、大きさも性格も違う星々をつないで、星座を作っているわけですが、ここでは床を天空に見立てて、人々がそれぞれの思いをつないで星座を形作ることができればいいと思っています。
そちらのテーブルにはサラダオイルと、時計皿というガラスの丸い皿が置いてあります。皿にオイルを注いで、それぞれの想いを火に託して灯していただければと思います。昔の行灯のようなものです。私は水鏡の作品も作っているのですが、この皿はそれとほぼ同様の形をしていて面白いなぁと思って何かに使えないかなと前々から思っていたのです。床面を十分広く使っていただいて、あちこちに皆さんの星座が形作られればいいなと思っています。
installationview.JPGそれから、このオイルにはセントジョーンズワートという薬草から取られたエッセンシャルオイルが若干混ぜてあります。セントジョーンズワートというのは日本語で言うと西洋弟切草(オトギリソウ)という草ですけども、セントジョーンズ、すなわち聖ヨハネの草ということで、ヨーロッパでは古くから薬草として使われているものです。最近ではアロマセラピーにも用いられていて、抗鬱作用があり、ストレスとか、そういった落ち込んだ人を元気にさせるということで、サンシャインサプリメントとも言われたりするそうです。これも6月24日にちなんだちょっとしたものです。人数が多いので一人ずつそちらで点灯していただければと思います。
ちなみに床に何もないと寂しいので、すでに中央に一箇所、少し大きめの皿に灯してあります。太陽に見立てることもできますし、北極星に見立ててもいいと思います。
F:渡辺さんがキャンドルのインスタレーションを始められたきっかけとか、そのときに考えておられたことを伺えますか。
W:そうですね、当初とはだいぶ変わってきたとも思いますけど、作品の中の時間性などをずっと考えていたので、時間性の表現というところから、火をともしていないろうそく=パラフィンワックッスをもともとよく使っていました。あるとき「火を灯してもいいな」とふと思ったことが始めたきっかけですね。ろうそくは安いので大量に買い込んで作品に使っている中で、ろうそくそのものを見せる作品も考えられるなと考えたのです。火を灯すことによってまったく違った作品の展開がみせられるようになったということです。
kentou.JPGF:渡辺さんの作品には「光ではかられた」時間の概念が入っているわけですけども、この作品の場合はいかがでしょうか。
W:さまざまな時間の層といいますか、さまざまな時間についての考え方を読みこむことができると思います。黄道は、星座がそうであるように、人間が捉えている季節の巡り、太陽がまた復活するというような周期的な時間の中で考えられたことです。一方で火をともしてそれが燃えていくと言うのは、科学的に言うと「熱力学の第2法則」にしたがい、「時間の矢」でいうと一方向性のもので、決して周期的なものではないのです。つまり、一度つけられた火は決して元に戻らない。それはさきほど少しお話した「火の持つ両義性」に通じるものと思っています。
また、周期的な時間と一方向的な時間、取り戻すことのできない時間のようなもの、あるいは火にまつわることというのは、人間の記憶に結びついているものだと思います。人間が初めて火を手にしたのが発達のどの段階なのかというのはなかなか特定できないことですけども、北京原人の住居跡からは既に炉の跡が見つかっています。火の使用というのは人間の条件付けに対して非常に決定的な意味を持つ、ろうそくを見ているとそういう人類の発生まで時間をさかのぼらせるような、記憶における時間というのを併せ持っているんじゃないかな、と思います。
twoyoung.JPG来場者:この作品は今回このために作られたものなのですか?
W:そうです。ただ、先ほどちょっとお話したのですけども、壁面の「黄道」の作品については、以前これと同様の作品を発表しています。今回のようなこういうものの組み合わせというのは初めてです。
来場者:壁の作品にはあえて火を灯さないのですか?
W:灯さない作品というのもあります。いつも灯しているわけにもいかないので。(笑)
F:火の原初性が人間の原初的なスローライフと結びついていて、非常にキャンドルナイトにあった作品だと思います。星座のようでもあり、星座でないようでもある。
W:やっぱり自然の秩序を見出していくというのが、人間がやってきたことだと思うんですね。星座を形作るというのもそうだと思うし。私の作品にはそういう幾何学形態を使ったものが多いのです。今回は円以外にはそういう幾何学形態というのは使ってないのですが、観客の皆さんが献灯することによって、人間が動物の形とか神話的なモチーフを天空に見出していったのと同じような、あるいは少し違うような、それらの灯火をつないでいく形のような関連性を見出していくことができると思います。
party1.JPGF:社会や世界のしくみは、人間が関係性を作っていくこと、すなわち一人ひとりの行為によって関係性が出てくることで成り立っています。人間はそれを形態として認識したり、何に見立てるかというように意味性を捉えようとしたりします。それが社会の成り立つ最初に起こっていることです。そういう面では、この灯火からは、人間がそれらしいと思う、宇宙を示すようなイメージが沸いてくるような気がします。
来場者:いろんな置き方がありますね。
W:私が参加したグループ展(1997年11月「光をつかむ-素材としての<光>の現れ」展、O美術館、東京都)に関連しておこなわれたシンポジウムで天文学者、宇宙物理学者の池内了さんが「我々はみんな星の子だ」といいました。金など、鉄よりも重い元素というのは一世代目の宇宙ではできない。爆発の核融合で重い元素が作られて、それが爆発して飛散して、また集まって太陽の方に呼び寄せられて惑星を形作って、という星の世代交代があって、その中で初めて我々の体を作っている物質というのが作られるんですね。その方はそういう我々の体の一つ一つが星の子だという、非常にロマンチックな言い方をされました。ギリシャ時代には宇宙の成り立ちについてマクロコスモスとミクロコスモスの照合を考える、という考え方もありました。この灯火を前に、星と自分たちの対照関係みたいなものを考えるのもいいですね。
F:灯火の背景にピタゴラスの定理の作品の名残があるわけですけども、このピタゴラスの考えと今のお話しは何かつながりがあるのですか?
party2.JPGW:私の作品では、ギリシャ時代にさかのぼる、ピタゴラスの定理のような自然の中に見出されていった原理、原則と、抽象的な概念と非常に即物的な、物質的な現象みたいなものを抱き合わせにしているところがありますね。作品ではいろんな引用を行っているのですけども、気をつけているのは、私は別にピタゴラスの信者でもジャック・ラカンの信奉者でもないということ。つまりそこではある一面を信じて語られていると思うのですけども、そういったものを一義的に用いるのではない、ぜんぜん違ったものとの抱き合わせをやりたいと思っているんですね。
来場者:さっき星のその寿命とかそういう話を聞いたんですけども、何となく、ろうそくって長さがあって死んでしまうっていうのがあって、それがなんか星の寿命に関連したりするのかなって気になっています。今ここにある灯火は灯心に直接火がついていて、炎だけというのは何か意図があるのかな、と思ったんですけども。
W:今回ろうそくではなくてオイルにしたことにはあまり特別な意味はありません。もちろんろうそくを使っているときには、人間の寿命や、そういったものになぞらえて見られることが多いですし、そのことは当然意識して使っています。今回はキャンドルナイトですから他にキャンドルを使う人がいっぱいいるから、それに対して違う素材にしたという程度のことで、そんなに意識的ではありません。灯火としては、実はろうそくよりこの方法のほうが古いんですよ。菜種油が基本ですけども、ヨーロッパだったらオリーブオイルとか、そういったものが、いわゆる行灯として昔から使われてきたわけです。
来場者:ありがとうございます。
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クロージング:2007年6月24日(日) 19:00-
*福井香菜子と田中やよいによるトイピアノのパフォーマンス
toypiano.jpg曲目(曲順不同)
「ラ・カンパネラ」リスト
「星に願いを」Leigh Harline
「くるみ割り人形」より「金平糖の踊り」チャイコフスキー
「動物の謝肉祭」より「化石」サン=サーンス
「戦場のメリークリスマス」坂本 龍一
「亡き王女のためのパヴァーヌ」ラヴェル

*観客による消灯