総合ディレクター・インタビュー

「芸術で地球を救う」から「トウキョウ・ミルキーウェイ」まで
総合ディレクター 深瀬鋭一郎インタビュー
聞き手 川上真生子(東京大学)
■「芸術で地球を救う」の誕生 2005年11月
eco-night1_450.jpg2005年の9~10月に僕が事務局長をしている新宿地下街ダンボール絵画研究会の研究発表展を新宿エコギャラリーっていうところでやったんですけど、地球新聞っていう環境系のタブロイド新聞の記者だった木下拓己君っていう人がそこで僕の存在を知って、11月ごろですかね、取材があったんです。「なんでこんなことしてるのか話を聞きたい」っていうことで。この施設は崎田裕子さんという環境カウンセラーが代表を勤めている施設だったので、この展示をきっかけに環境関係者が僕の存在を聞きつけてけっこう会いに来られたんですよ。で、そのときになんで芸術で地球を救うっていう話になったのかというと、地球新聞の社主の小林良夫さんが、口癖で「いやぁ~これで地球は救われました」っていうんですね。すごく些細なことでもそういう大げさなことを言うもんだから、みんなでゲラゲラ笑ってたんだけど。「じゃあ芸術で地球を救いますか」っていう冗談みたいな話を僕がしたら、またそれでワッハッハと大ウケで。でもふと、ギャグじゃなくて本当に「芸術で地球を救う」っていう企画はできるかもしれないと思ったんですね。


■地球新聞の企画案  2005年12月ごろ
それで最初、地球新聞の連載企画か一号掲載企画で「芸術で地球を救う」というものをやろうとしたんです。結果的にそれは企画として通らなかったんですけどね。というのは、地球新聞って・・・まぁ環境分野全体がそうだけど、芸術とのリンクが本当に少なかった。今でこそアートも含めて、いろんな分野で環境への関心が高まっているけど、2005年の当時はまだそうでもなかったから。それは僕らやみんなで盛り上げてそこまで持ってきたってことなんだけど、この段階ではそこまで行ってなかったんです。
ここで僕が「芸術で地球を救う」っていう企画を打ち出したのは、要は社会を構成している人間の心が変わらないと環境問題は解決できないと考えたから。環境問題が発生しているのは人間が増えすぎたからであって、人間が過剰消費して地球のホメオスタシスを崩しているからです。てことは人間を適正規模まで減らすか人間の気持ちを変えてホメオスタシスを維持できるような社会にしないといけないっていうことなんだよね。真面目な話、地球のホメオスタシスを維持する、っていうのはいわゆる「エココンシャス」とか「環境問題への寄与」とかいろいろ表現されるけど、つまりは化石燃料を過剰消費しないとか、二酸化炭素を増やさないとか、そういうことです。
そこで人の心を変えるのに一番効くのは芸術だと思うんです。文学だったり、ゲルニカみたいな絵画だったり、もちろん歌も。この新聞の企画ではそういう地球を救う芸術家を紹介しようとしていました。ドストエフスキーが「美は世界を救う」と書き残したエピソードもあるし、ジョージ・ハリスンとかジョン・レノンとかいろんな人が活動してきたわけだよね。ジョルジュ・ルオーにしろ、それからタルコフスキーにしろ。みんな世界、地球の救済を訴えた人たち。そういう活動の特集をしようかと考えていたんですね。
もう一つこの企画で掲載しようとしていたのは、トークイン・イベント。辻説法トークをいろんなところで繰り返して、観客との対話を重ねる。辻説法で観客との対話を積み重ねて、それを掲載していきましょう、と。人間は知恵のある生き物だから、今は地球を救うための名案がなくてもひたすら話をしているうちに名案が出てくるかもしれないと思ったんです。で、でもそういうイベントがこの地球新聞ではできなかったので、他でやろうということになりました。
■「アースデイ東京2006」2006年4月22-23日、代々木公園
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2006年の2月に「芸術で地球を救う会」を立ち上げて、4月にアースデイ東京に参加してイベントをやることになります。2月、3月とこのアースデイの準備に入っていくわけだけど、このアースデイっていうのは1970年にアメリカで始まったもので、日本でも90年代から毎年イベントが開かれています。で、その2006年のアースデイ東京イベントに参加するという形。松尾さんっていう毎年アースデイで「おはなしの森」っていう企画をやってる人がいるんだけど、その中でこの辻説法をやらせてもらないかと思って話をしてみました。そしたら彼も乗り気で、どうせやるなら派手にやりましょうってことになって。結果的に、宮島達男さんとか小沢剛君とか増山麗奈さんとか武盾一郎君とか丹羽良徳君とか、たくさんのアーティストの大パフォーマンス大会みたいなのをやりつつ、その中で芸術で地球をどのように救えるかっていうトークインをやりました。宮島さんに世界アーティストサミットの話をしてもらったり、小沢剛君にはチベットで拾ったごみでじゅうたんを作るプロジェクトの話をしてもらったりして。僕もその地球を救おうとしたアーティストの話を紙芝居でやって。で、これが大成功だったんだよね。アースデイ全体で11万人の人が来たんだけど、その中の相当多くの人が足を止めてくれて。特に増山麗奈さんの母乳ペインティング・パフォーマンス、これ初発表だったんだけど、むちゃウケしました。
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ただ、公園エリアのほうであまりに大騒ぎしていたので公園管理事務所からいろいろクレームがつきました。テントを建てるなとか太鼓を置いて演奏するな、とか。増山さんが公園の木を使ってパフォーマンスしたのも注意された。ルール違反状態を直ちに解除してくださいって。まぁそれを言われたのはパフォーマンスが終わったときだったから企画自体は無事遂行できたんだけど。大成功ですごい盛り上がりではあったんだけど翌年はあまり派手にしてくれるなと言われてしまったので、2007年はアースデイには参加しなかったんですね。
■「100万人のキャンドルナイト2006年夏至─GINZAで銀河をみる」
2006年6月17-21日、銀座 K's Gallery
このアースデイ東京での芸術は地球を救うというイベントが大成功だったので、いけるんじゃないかということで、「100万人のキャンドルナイト」にも参加することになります。きっかけは、増山さんが『地球と人間』っていう雑誌で僕と文化人類学者の辻信一さんで「芸術は地球を救うか?!」っていう対談をやりたいという話を持ってきたことです。自分はライターとしてそれを書いて7月号の特集にするって話で、結果的には増山さんもトークに参加して鼎談になりました。その辻さんが「100万人のキャンドルナイト」の呼びかけ人の一人だったので、その中で僕は「100万人のキャンドルナイト」でも「芸術で地球を救う」活動を続けますという話をしました。
実はその鼎談の前にも僕はすでに「100万人のキャンドルナイト」に芸術施設の参加があまりに少なすぎるという話を辻さんとしていて。芸術施設も参加するように運動を起こしたほうがいいですよね、という話になっていました。辻さんは「どんどんやってくださいー」みたいな感じなので、それが6月の「GINZAで銀河をみる」っていうイベントにつながっていったわけです。
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この時期に、やはりキャンドルナイトの声掛け人の一人のマエキタミヤコさんっていう方と知り合います。この方は「ecocolo」っていうエコロジー系の雑誌の編集長で、このときeco japan cup の発想がすでにあったので、それを雑誌で紹介してもらえないかと思ったんだけど、趣旨には賛同してくれても時期的に間に合わなくて。なので、この年にはできなかったんだけど、2007年のトウキョウ・ミルキーウエイでは相当取材に来てくれました。eco japan cup 2007の審査員としても参加してくださっています。まぁこれは余談なので置いといて。
この100万人のキャンドルナイト、最初は試験的にやったもんだから「GINZAで銀河をみる」っていうコンセプチュアルなタイトルにしてみました。これは試験的な作品だったもんで・・・
――「作品」といいますと?
あぁ、僕の場合は催しが作品だから。プロジェクトとかコンペティションとか研究会・学会を作るとか、そういうものの総体が僕の作品だと思っています。なので、これは「GINZAで銀河をみる」っていう作品なんですよ。
話がそれたけど、このときは新しい助手の吉田有希さんと、武蔵野美術大学の学生さんと地球新聞の木下拓巳君と僕で企画を始めました。イベントの内容としては、銀座にK's Galleryっていうギャラリーがあるんだけど、そこで2006年6月の三日間、1組ずつアーティストを招いてキャンドルの灯りの中でパフォーマンスをする、というものでした。アーティストに呼んできたのはヴェネツィア・コンテンポラリー・ダンス・ビエンナーレの日本代表にもなった山川冬樹さん、ヴォイスパフォーマーの中ムラサトコ→さん、それからもともとはパフォーマンスやビデオのアーティストで、最近はフラメンコギタリストとして活躍している若林雅人さん。
この企画をやろうと思ったひとつの理由には、芸術施設がそういう環境活動にぜんぜん参加してないっていう問題があって。もうひとつは、中でも銀座のギャラリーが反応があまりに悪すぎる、ということ。銀座のギャラリーにチラシ置きに行ったりしたんだけど、一部のところでは本当にまったく理解を示されなかったのね。で、これじゃいかんなと。銀座って夜中まで明かり煌々で電気も無駄遣いしまくって、資本主義の悪い面の象徴でもあるんだよね。動く金の額もやっぱり巨額だし。だから、社会の意識を変えるにはまずは象徴的な銀座を変えなければいけないだろう、と。
■「human Be-in '06」2006年9月9日、明治公園
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さて、この「GINZAで銀河をみる」がBE-INにつながっていくわけですが。BE-INも毎年開催されているイベントで、もともとは1960年代にベトナム反戦運動の中で、アメリカの規制の秩序に反抗してニューパラダイムを志向する人たち、当時で言えばヒッピーも含めてだけど、彼らが大連合して始めたもの。アラン・コーエンっていうベストセラー作家が1967年に主唱者になって始まったものです。で、それはベトナム戦争が終わって立ち消えになるんだけど、9.11米国同時多発テロを機に再召集されて、世界各地で行われるようになったんですね。日本でも2002年以降にやっています。
何でこのBE-INに参加することになったかというと、当時助手だった木下君がBE-INの取りまとめをしている人に頼まれたんですね。環境系の人って、人の心を変えるのに芸術が力があることは間違いないんだけど、これまでのところあまり芸術が参加してこなかったっていうところで、芸術プログラムを入れたいっていう欲求が非常に強かった。で、木下君を通じて僕にお声が掛かったという。でも、あとから聞くと木下君自身は実はあまり紹介するのが本意ではなかったとか、僕がBE-INの運営形態について事前に知らされていなかったとか、いろいろそういう問題があって結構大変だったんだけどね。BE-INって、ギャザリング方式って言って関係者が常に会合に全員出席して話し合うっていう運営形態を取っているもんだから、意見をまとめるのに結構手間取ったりして。ビエンナーレ的な大規模な催し物のオーガナイズをやり慣れた人もいないし。まぁそういう運営面での苦労はあったんだけど、企画自体は成功だったと思います。
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2006年はステージを四つの時間帯に分けて、BE-IN事務局と深瀬記念視覚芸術保存基金と谷崎テトラ・プロジェクトと向坂事務所っていう四つの団体がそれぞれの時間帯でプロデュースして大芸術フェスティバルにする、っていう発想だったのね。これは平和の祭典だけど、芸術で地球を救うみたいなもので、芸術で平和に向けて盛り上げる、と。インリン・オブ・ジョイトイとかキャサリン・オズボーンとか多様なゲストがきて大盛り上がりでしたね。開催翌日に朝日新聞の一面トップにも記事が載りました。で、この年かなり力を入れてしまったのでBE-IN全体でかなり赤字が出たんだよね。それで来年は身の丈でやりましょう、と2007年は地味にやりました。
これは平和の祭典なので必ず右翼が来るんですよ(笑)。「お前ら馬鹿なこと言ってんじゃねーよ!!」なんて街宣車がいっぱい停まって。それがくるから機動隊なんかも張ってるわけ。機動隊はこっちを守ってるのか監視してるのかどっちなんだろうね、みたいな一種異様な雰囲気で。
「BE-IN 2006」はとてもよい催しだったので多くの人の心に届いたかもしれませんね。出演してもらったパルコ木下君とかもえらい感動してくれました。ただこのときはそういうステージ式の催しだから辻説法、トークインができなかったんだよね。狭い部屋だったらお客さんとアットホームに対話っていう感じにできるんだけど。
■「eco japan cup 2006」2006年12月14-16日、東京ビッグサイト
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これが2006年のeco japan cup に続きます。木下君がeco japan cup の当時の事務局長 安在尚人さんと面識があって、eco japan cup に芸術コンペを入れられないかっていう話になりました。人の心を変えるには芸術が必要だ、社会的な素地を作るために環境に寄与する芸術のコンペを作ろうっていうことで。5月の連休頃に実行委員会準備会の服部徹さんがやってきて相談があったのを覚えています。
eco japan cup は初年度だったので予算も日程も苦しかったんだけど、エコアート大賞ってのを作りました。中はアート部門とデザイン部門とコミュニケーション部門に分かれていて。初年度ながら100点応募が来て、わりとしっかりした作品が賞をもらうっていう形にまでできました。
eco japan cup 2006の原型にあったのは2005年の環境ダイナマイトってイベントで、それは現在NECのCSR担当をしている服部徹さんが、環境に寄与するビジネスやライフスタイルのコンペ、表彰システムを作りたいということではじめたんですね。それが2006年には環境省、三井住友銀行、三菱東京UFJ銀行などがサポートに入ってより大きなeco japan cup というものになったわけですけども。そういうことなので、ビジネスのコンペとライフスタイル的なコンペ、それにこのアートのコンペから構成したんですよね。
■銀座オフィスの設置 2006年9月
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この第一回eco japan cup の準備に並行して、9月に深瀬記念視覚芸術保存基金の銀座オフィスを立ち上げます。深瀬記念視覚芸術保存基金ができたのは1998年ですが、それまでは名目上の事務所は南青山にありましたが、これは住居と兼用で、リアルな事務所はずっと持たずにやってきたんですね。当時はWindows98も出てなくて、インターネットエクスプローラがようやく根付いたっていうような時期で、ケータイもない。そんな時期に、BBSとナロウバンドメールを使ってSOHOスタイルでプログラムを進めていくっていう、ユビキタス的な運営スタイルを、たぶん時代に先駆けて構築しました。要は、深瀬鋭一郎という人物をハブとした電脳上のネットワークっていうバーチャル事務所だったわけです。それがこういうリアル事務所になったのは、やっぱりこの「芸術で地球を救う会」がきっかけだったんですね。というのは、この活動の中で企業とか国とかとやり取りをすることがあって、そうすると外線電話があるかとか郵便物はどこに送るかとか物理的な問題が生じてきたんですね。やっぱりそういう人たちが相手だとそういうのが重要で。で、できるだけコストを抑える形で現在の事務所を用意しました。ただこの物理的な事務所っていうのはこうやって後付けでできたものだから、うちのスタッフは事務所に来るっていう習慣が今もないですね。徹夜作業をやったりミーティングしたりとか必要があるときだけ使ってる感じで、あとは僕の作業(居住?)スペースになっていますって感じで(笑)
eco japan cup 関係のミーティングはけっこうここでやりましたね。エコアート大賞の運営事務局もここにおいていたから、完全常勤ではないにしろ常駐スタッフがいろいろ作業したりしていました。ただ2007年はその運営事務はしんどいからやめたんですけど。
eco japan cup もいろいろ取材があったけど一番良く趣旨を表してくれたのがこの2007年3月の『モノ・マガジン』に掲載された3ページ記事です。この取材のときに「エコロジーのゲルニカを探せってことですよ」って僕が言ったのをタイトルに使ってくれて、『エコロジーのゲルニカを探せ!』というタイトルの記事になっています。要するにどういう意味かというと、芸術って何でも始まりに象徴的なものができる。たとえば「反戦」っていう概念はアメリカの南北戦争の時の文学で初めて登場する。第一次世界大戦時のレマルク作の『西部戦線異状なし』でも扱われたりして、そういう象徴的な芸術作品が人の心に届く。そのひとつがピカソが描いた『ゲルニカ』です。万国博覧会にスペイン共和国が出品した作品ですよね。第二次世界大戦の無差別爆撃を絵に描いたもので、反戦の象徴みたいになっている。僕は、この絵の重要な点は攻撃される者の悲惨さを描いているだけで、攻撃する者を描いていない点にあると考えています。攻撃者をそこに描いて憎しみをぶつけてしまうと、出口なしの憎しみの連鎖につながってしまうでしょ。これが平和のシンボルたりえたのは攻撃されたことの結果だけを描いたからだよね。無差別爆撃。そういう戦争そのものに対する批判、それがピュアに平和の象徴とらえられたわけです。反戦や平和に関してはそういう象徴的な作品が歴史的に社会を変えるくらいの影響力を持ってきた。ジョン・レノンとヨーコ・オノの『WAR IS OVER! IF YOU WANT IT』とか岡本太郎の『殺すな』とか、そういうものが環境の分野でもある筈です。環境のそういう決定的な芸術作品が人の心を動かすことができれば環境問題も人間の知恵で解決に向かっていく可能性が高いということです。
■「ギャラリーCOEXIST」の立ち上げ 2007年1月~3月
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2006年のeco japan cup が終わって2007年に入ると、次はギャラリーの立ち上げをやりました。日本最初のエコアート専門ギャラリー、earth art COEXIST。2006年エコアート大賞の優秀作品になった松下康平さんっていう作家さんがいるんですけど、その方は実はエコロジー系ベンチャー企業 ゼロ・エミッションの社長なんですね。炭焼マシンを製造販売したり炭製品を扱う会社なんだけど、炭を使った空間コーディネートをしているうちに自分も炭アーティストになっちゃったっていう人で。その人がだんだん自分のアーティスト活動が本格化してきて、会社のショールームをギャラリーに変えてエコアートを展示したいって言い出されたんですね。2007年の年初にそういう相談がありまして。で、僕は過去にも何件かアートスペースの立ち上げとかコンサルとかをやっているので、いいですよとお受けしました。
http://coexist-art.com/
このCOEXISTという名前は僕が考えたんです。地球とアートの共存っていうことで、いろんな意味合いが含められているんだけど、もともと芸術作品って環境に有害なものが含まれていますよね。毒性のある絵の具とかプラスチックとか。なので、環境を破壊しない芸術、環境に寄与する芸術、二つが共存できるようにするっていうことと、他にも自然と人間が相互に破壊しあわないように共存していく、平和に人類が共存していく、そういういろんな意味の共存に対しての言葉なんです。
それから、以前僕がキュレーションをしていた晶アートっていうギャラリーの右隣が「共存」っていう貸しスペースだったのね。そこでアートイベントもあったしアーティストが集う飲み屋でもあったりして、そのころから共存っていい言葉だなぁって思っていたんだよね。水戸芸術館で逢坂恵理子さんがキュレーションした「しなやかな共生-flexible coexistance-」っていう展覧会が頭に残っていたりもして。それで「COEXIST」っていう名前にしました。これはいわば企業系オルタナティブスペースだよね。資生堂ギャラリーとか大抵は大きいところが多いけど、こういう小さいところもあると。
それの立ち上げコンサルティングをして2007年3月にギャラリーを開きました。しかし、箱ができたはいいけど、会社の人たちだとはじめたばかりの素人状態だからどうしてもプログラムが入れられなくて。で、6月からアドバイザリーをやってくれって話になって。基本的にはここ5年間くらい大きなプログラムばかりやっているから、もともとは小さいプログラムをやるつもりはなかったんですけど、社長さんの熱意もあって2007年6月から面倒見ることになりました。作家の小回顧展とか、うちの収蔵作品展とか、レジデンス作家と日本人の作家の掛け合いの展示とか、ギャラリー一軒の面積ではちっちゃいとはいえ、そこそこ面白いのはできるので引き受けています。環境に対する取り組みへの支援っていう意味もあるし。だからこれも芸術で地球を救う活動の一環でもあるよね。
――環境になんらか関係のある作家さんの展示をやっているんですか?
まったく関係の無いものはないと思います。その作品が「環境に寄与するか」というと、必ずしもそうでもないかもしれないけれど、どこかで関連づけていますね。うちの収蔵品展も「ecological landscapes」っていうのがテーマだったんですよね。最近回顧展をやった鬼頭正人さんは「花のある風景」っていうのが最新作。自然がモチーフになっていて、まぁそれが抽象化されて出てくるから見た目には自然って分からないんだけど、いちおう自然と関係あるかなということで入れている。
2007年はこういうコンサルティング、キュレーション活動をやっていて、並行して国連GEICの展示やトウキョウ・ミルキーウエイ、eco japan cup 2007の準備をしていたということですね。
■「eco japan cup 2007 showcase~エコロジーのゲルニカを創ろう~」2007年6月5-30日、国連大学ビル内 地球環境パートナーシッププラザ(GEIC)
「エコロジーのゲルニカを探す、見つからなければ創ろう、」というわけで、2007年6月に国連大学と環境省が共同で設置している地球環境パートナーシッププラザ(GEIC)のギャラリーでeco japan cup 2007の応募作品募集に向けた展覧会をやったんですが、そのときは『エコロジーのゲルニカを創ろう』というタイトルにしたんです。eco japan cup 2006の受賞作品、優秀作品については、2006年12月に東京ビッグサイトで行った「エコプロダクツ2006」の中でもすでに展示していたんですが、eco japan cup 2007への応募作品の「見本」として見せるためにGEICで再度展示しました。展覧会のタイトルは、さきほどもお話した、モノマガジン連載「アーススマート」記事の『エコロジーのゲルニカを探せ!』というタイトルや、そのもとになった自分の発言を裏返しにしてつけたものです。鑑賞する側からみれば「探せ!」だけれど、作り手の立場からすれば「創ろう」なので。意外なことに観客は、アート系の人というよりは、国連大学に来た外国人研修生の団体や、青山通りや国連大学を通りかかった一般の方の立ち寄りが多かったですね。
■「トウキョウ・ミルキーウエイ2007」2007年6-7月東京都内3地域(青山、赤阪、銀座)の18ギャラリー、1商店会、1団体を連携
2006年に開催した「GINZAで銀河をみる」はかなり手ごたえがあったので、2007年は「トウキョウ・ミルキーウエイ」と名前を変えて発展させました。銀座を中心としたアニュアル環境フェスティバルにしようと思ったわけですよ。去年がんばってチラシを猛烈に撒いたおかげか、2007年は銀座以外の地域も含め18軒のギャラリーが参加してくれたんですよね。さきほど反応が鈍かった、とは言いましたが、実は中には潜在的に関心を持っていた人たちがいた、ということだと思います。
企画のコンセプトとして考えていたことは、色の問題。「GINZAで銀河をみる」っていうのは、その象徴的な銀座を変えることによって無駄なネオンが消えたら星空がきれいに見えるだろう、銀河が銀座でも見えるようになれば環境は改善されているにちがいない、という意味を込めてつけた名前だけど。で、それから一年の間に考えたのが色の問題。キャンドルの灯りで見ると、全体的に暗いから色がよく見えない。明るくすることの実益は色が良く見える、ということがある。
不思議なことに銀座の「銀」だけじゃなくて赤坂の「赤」とか青山の「青」とか、盛り場って色の名前がついているところが多い。それはなぜかというと、人間の色に対する意識が研ぎ澄まされる、高まる場所ってやっぱり盛り場が多いんだろうな、と。ということでじゃあ盛り場の電気を消してみる。色があまり見えないキャンドルでその盛り場の電気を消して、ロハスとかエコに対する関心を持ってもらおう、と。そういうことで色の名前のついた街の電気を消そう、ということになり、2007年は銀座、赤坂、青山の3箇所で活動しました。いろんな新聞・ラジオ・雑誌・ウェブで取り上げてもらったので、他の地域でも参加したいっていう団体が増えてきました。だから今後は色のつく街っていう概念にあんまりとらわれないほうがいいかなと思っています。もう少し幅広い地盤で。それから、来年は環境に関係する作品、要するに「芸術で地球を救う」に関わる作品を展示することになると思います。「色のない世界で色を見る」というコンセプトだから、2007年は夜の銀座のギャラリーを巡ってろうそくの灯りで作品を見る、という企画もやったんですけど、それがけっこう好評だったから2008年はどうするか、とかもね。スタッフの顔ぶれも昨年から変わっていますし、どうなるか楽しみです。
■「eco japan cup 2007」2007年12月13日-15日、東京ビックサイト
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2007年のeco japan cupは、博報堂やソニーミュージックコミュニケーションズが入り、三菱東京UFJ銀行が抜けるなどスポンサーのメンバーチェンジがありました。カルチャー部門を前年よりもっと押し立ててやるっていう方針で、芸術部門が非常に大きくなったんです。なので、エコアート大賞(現カルチャー部門)は部門編成を変えて、デザイン・コミュニケーション部門とアート・ミュージック部門に分けました。ミュージックっていうのを新たに入れたんだけど、そこに持っていくまでがやっぱりすごい労力でしたね。当初はエコミュージックなんて概念の想像がつかなかったから。竹やぶがサワサワそよぐような音を音楽仕立てにしたらそれもエコかい、とか、自然をテーマにしたクラシックミュージックみたいなのがあったらそれもエコかい、とか。結果的には「これがエコです」とアーティストが思ったものを提案してもらうってことであればよいだろうということになって、実際すばらしい応募作品が来ましたね。
それからミュージック部門のスポンサーや運営団体を見つけるのも大変でした。例えば環境問題に関わるイベントを開いてるap bankっていうNPOがあるのね。音楽プロデューサーの小林武史さんとかミスチルの櫻井和寿さんとかが自ら基金を作って運営しているんだけど。で、そこと最初連合しようとしたんだけどうまく話がまとまらなくて。NPO活動として環境音楽活動をやっている人がいないか探したんだけど見つからなくて。オフィスマキナさんや、去年からeco japan cup をサポートしてくれていたソニーミュージックコミュニケーションなどにも相談しました。最終的には博報堂さんの音楽部門が引き受けてくださって助かりました。おかげさまで大変優れた曲が集まりました。そういう試行錯誤で1月から6月くらいまで東奔西走していましたね。
いろんな団体がエコへの取り組みへのアピールでeco japan cup に参加を申し込んでくるわけだけど、それを選ぶのも大変だった。エコへの取り組みって一口に言っても「ビジネスのエコ化」と「エコビジネス」とは違う概念なんだよね。ビジネスのエコ化っていう概念は要するに通常の経済活動をよりエコロジカルに、サステイナブルにするということ。化石燃料であれば化石燃料が精製されるスピードで消費されなければならない、つまり地球の生産力の範囲内で消費して循環することを前提にしているのね。でもエコロジーをネタにしたビジネス、エコビジネスでは、それ自体では環境に優しくてもビジネスを進行しすぎれば環境を破壊するので。そこのところでサステイナブルの人は「活動レベルを上げなくてもいいんじゃないか」っていう考えをするんですよね。それは100万人のキャンドルナイトの「電気を消してスローな夜を」もそうなんだけど、ゆっくりでいいんだよ、車使わないでゆっくり自転車に乗ろうよっていう発想。それと、この電気自動車を使うと二酸化炭素排出量が減ります、っていうエコビジネスとはまったく違うことなんです。このeco japan cup は「ビジネスのエコ化」を主にテーマにしており、エコビジネスを推進している企業と必ずしも一緒にやれるという訳でもない。そこの部分で考え方の違いがあるので、ビジネスのエコ化っていうeco japan cup の考え方に合う団体を選ぶのも苦労したかな。
もうひとつ、eco japan cup って環境省と事業者がいっしょにやってるものだから、そういう国とか大企業とか、資本主義的なものを敵視することが多い団体も、エコに対する考え方はまったく相反するわけではないものの、やはり一緒にはできなかった。
そういう運営面での負担がかなりあったので、2007年6月限りで運営部分から手を引くことにして、作品募集の仕事もeco japan cup の事務局に回させてもらいました。去年は深瀬記念視覚芸術保存基金が運営してたから、うちの看板もあって、突然始めた無名な催しで賞金も少ないのに沢山作品が集まりましたが、いかに応募してくれる人に応募したいような情報を届けるかって言うのは実はすごくノウハウがいる分野なので、2007年はなかなか応募作品が集まりませんでした。土壇場になって締切を延長して、うちにも応募作品集めの協力依頼が来たので、声がけして50件ほど応募を積み増す形になったのですが、本当はこういう形になってしまうのは良くないと思いました。
http://www.eco-japan-cup.com/2007/
■「トウキョウ・ミルキーウエイ2008」2008年6月、関東6地域(青山、赤阪、浅草、上野、銀座、横浜)の22ギャラリー、1商店会、1団体を連携
――eco japan cup以降の「芸術で地球を救う会」の活動は、トウキョウ・ミルキーウエイ2008が始まるまでは、基本的にはギャラリーCOEXISTのみっていうことですよね。
えーと…そうですね。結構新ギャラリーの運営アドバイザリーが大変だったんだよね。2007年7月中旬ぐらいから開設のコンサルティングじゃなくて実質的なプログラムの立ち上げが始まって、8月、9月、10月の最初の3ヶ月はわけも分からずウワーッて走り回っているって感じで。ようやく10月くらいに一息ついたっていう感じですかね。
――そしたらすぐ12月のeco japan cup 受賞者展や、トウキョウ・ミルキーウエイ2008の立ち上げが迫ってくる、という。
そうですね。それから11月にはスタッフの入れ替わりもあったんですよ。それまでの中心スタッフが転職のためしばらく活動をお休みしなきゃいけないことになって、スタッフ公募に到りました。十数人から応募があって全員と面接したりして、そのプロセスにまた1ヶ月くらいとられているからね。また、2008年1月には深瀬の第17回モンブラン国際文化賞の受賞が決まって、5月の受賞式の準備やらウェブ作成やら取材やらでドタバタになりました。だから「芸術で地球を救う会の活動」はトウキョウ・ミルキーウエイ2008の立ち上げをもって再開っていう感じです。